マージおじさんとボグヴァーツ特急 著:日下部 峰雪
第1章 (第1話〜第8話) 全文通読
人は誰しも何らかの形で未知なるもの、超越的なものに憧れる時期があるはずだ。 しかし時が経つにつれそれは周囲の“大人を自称し常識と秩序の守護者を気取る” 者達によって笑いものにされ、恥をかかされ、騙されて不利益を被らされたり、またはもっと悲劇的に現実を思い知らされることになる。そしていつしか大人の世界に適応する頃には本人もまた“子供達”に“慈悲と啓蒙の”精神を以って、憧れを笑いものにしたり大多数に適応させる為に叱ったりする。
例えばここに、マージ・ダーズリーという男がいる。男の名前としてはやや不自然な感があるが、その理由はすぐに分かるだろう。 彼もまた彼なりの夢物語に胸を躍らせ、国家の安っぽいプロパガンダに熱狂し、きちっとした制服と精悍な横顔、そして数々の冒険への憧れに胸を膨らませて軍隊に入り、ミドルイーストの戦場で出会い死線を共有した親友をその激戦のさなか見失い、そしてハンサムな映画の主人公達の扮する勇敢な軍隊とはまったく異なる過酷な現実に絶望する。
厳しい気候、最低の補給、突然の夜襲に夜もおちおち眠れない。 戦う相手は屈強だったり悪役のような憎々しい面構えをしたりしている訳でもなければ、そもそも兵隊ですらなかった。
彼は戦争が停戦を迎えるとそのまま軍を去った。 戦場で見失った親友リチャードの姿を二度と見ることはなかった。 そして彼はこの物語の中で憧れと現実の狭間で苦悩し、 過去の疑似体験とも言える不快な現実を克服し ―そしてさまざまな人との出会いを通じてまた憧れに還る・・・
今、私はそうなる事を切に願うものである。 魔法という言葉は人々にどれだけの憧れを与えうるものなのか、どこまで生々しさを克服できるものなのか、私は期待したい。
ロンドン郊外のプリペット通り、さわやかな朝を迎えた日曜の高級住宅街に怒声が響き渡る。
「また奴等だ!全くけしからん!」
そう言い捨てるとバーノンおじさんは読んでいた新聞をびりびりに破り、それに飽き足らずクシャクシャに丸めるとそのまま窓の外へ放り投げた。
彼、バーノン・ダーズリーは厳しい現代の資本主義社会における一人の成功者であった。 彼の生家はサセックスの貧しい農家であり、傾く家計の助けとなるため、そして最愛の弟の学費を稼ぐために、彼は少年の頃から工作機械の工場へ働きに出ていた。若い頃から貪欲に勉強し、寝る間も惜しんで働いて図面を引いてきた彼は、今では穿孔機械メーカーの分野でそれなりの地位を築くに至っている実業家である。彼も若い頃は上層階級の裕福な暮らしを憎みつつも憧れる反骨精神溢れる少年だったが、成功者としての階段を上るにつれ、かつて彼自身が傲慢な親会社との取引で受けた屈辱的な仕打ちの復讐でもするかのように反動化していった。
そしてその大いなる風化の果てに残ったのは冷めに冷めたリアリズムであり、確かにそれは彼を現在の地位に引き上げた原動力の一つであった。 しかし彼の商売は、彼がもっぱら経営だけに携わるようになると、製品開発に携わっていた頃の挑戦心はなくなり、会社経営もやや散漫になってしまった。
ぼろぼろのチョッキを着てすすけた鼻をはにかみながらこすり、しかし目だけは瑞々しい野心に満ちていた若き日のバーノンおじさんが雀の涙の日当を花束に変えてプロポーズしに来た時、心の底から彼に恋をした彼の妻、ペチュニアおばさんにはそれが不満だったが、よもや文句を言うはずもない。 もし不満の一言でも漏らそうものなら年とともに禿げ上がった頭を真っ赤にして、年とともに弛んで来た頬を膨らませ、年と共に怒りっぽくなった彼は平気で一時間近く小言を言うに違いない。そんな彼に不満を訴えられる筈も無い。そしてそのストレスは主に、身寄りの無い預かり子、ハリーへ行き着くのである。
「一体何が書いてあったのかしら?」
彼の妻は努めて平静に夫に語りかけた。
「またあの小鬼共だ!」
怒りの吐け口にありついたかのように、バーノンおじさんが怒鳴りだす。
「私の製品はまたあの東洋の小鬼共にどうにかされちまいそうだ!くそっ、いまいましいちび共め!エコノミックアニマル達の製品は今度はこっちの半分の価格だ!一方で価格が少し割高だと思えば精度がこちらの十倍・・・一体どうなっておるんだ!誰がやつらに文明を与えてやったと思っておるんだ!」
ハングリー精神を失った彼の製品が精度で日本、価格で韓国、中国に挑戦出来る筈もない。 日本人にはいい迷惑に違いないが、彼にしてみれば日本も韓国も中国もおしなべて区別がつく筈もなかった。 そして彼の談義は怒号を以ってますますエスカレートする…かに見えたが、突然のうなり声にかき消されてフェードアウトしていった。
声の主はダーズリー一家のただ一人の子、ダドリーのものだった。 その声は不明瞭で何を言っているのか定かでないが、何かしらの悪態をついているようだ。 何事かと彼のほうを見ると、健康的なことに朝からテレビゲームの真っ最中だったらしい。 そして画面には黒地に白のゴシック体で“GAME OVER”とだけ書いてある。 どうやらダドリーの繊細な精神は、バーノンおじさんによる談義の嵐の中ではゲームへの集中を維持できなかったようだ。
部屋の隅では、地べたに座り込んだ痩せ細った少年がそれを見て、ケタケタとひねくれた笑いを浮かべている。 この家にいる同い年のもう一人の子供、先に述べた預かり子である。
―ようやくハリー・ポッターの登場である。しかし彼はこの物語において重要ではない―
ハリーは魔法使いであり、おととしから魔法学校に通ってそこではヒーロー扱いされていたが、今は学校が休暇期間に入っていたためにダーズリー家に戻ってきていたのであった。
リアリストのダーズリー夫妻からみれば、ハリーは現実に立脚していない不埒な子供であった。現実に立脚していないということはすなわち常識から外れているということであり、常識に従うことで今の安泰を勝ち取ってきたバーノンおじさんにとってそれは受け入れ難いことであった。まして魔法使いなどという、おおよそ気違いじみている連中と関わる事は彼の外聞、信用、商取引、つまり日常的な社会生活の破滅をも意味しかねなかった。 魔法などという子供の空言や、それを取り巻く、何も知らない愚かな子供をたぶらかす“社会的”でない無頼漢じみた大人連中がバーノンおじさんにはなんとも馬鹿馬鹿しく、しかし得体の知れない不気味さをも感じるのであった。
当のダドリーは自分を見つめる軽蔑に満ちた視線を気に止める風もなく、育ちすぎた赤ん坊のような巨体を揺らしてむずかり、愛すべきゲーム機を殴りつけ、コードを引きちぎり(いやはや、外人の腕力はたいしたものだ!)わめき始めた。そんな息子の様子を、バーノンおじさんとペチュニアおばさんは怪訝な顔をして哀れなものを見るような視線で見つめていたが次の瞬間、バーノンおじさんははっとしてゲーム機を見つめた。
「メイド・イン・ジャパンだ・・・。でかしたぞ息子よ!」
なるほど、そのゲーム機は日本メーカー製である(その企業の名誉を重んじてあえて固有名詞は出さないでおこう)。 ダドリーはそれに耳を貸さず、さらにゲーム機を鷲掴みにすると力任せに窓の外へと放り投げた。哀れなゲーム機は通りの彼方に掻き消えた。
ようやく事態を悟ったペチュニアおばさんもわが子にすり寄るとその巨体を抱きしめた。
「かわいい、かわいいわが子や、お前はお父さんの敵を取ってくれたのねぇ。なんていい子何でしょ。それにひきかえ・・・。」
先ほどから皮肉な眼差しで過保護な親子のやり取りを観察していたハリーを見据えると、ペチュニアおばさんは悪態をつき始めた。
「お前はなんて嫌な子なんでしょ。居たくないのなら出て行けばいいでしょ、不満があるのなら!うちのダッダちゃんに何の恨みがあるの!どうしてそんな目で見るの!」
最後はもうほとんどヒステリックに泣き喚いた。
しかし、ハリーの側にも言い分はある。身勝手で幼稚な従兄弟に、健全な自分は常に従わねばならないのだ。そのせいで友達はできない、ダドリーのサンドバッグにされる、おまけにおもちゃもずっとダドリーのものを共有せねばならなかった。彼がどこか廃人の様になってひねくれるのも無理はなかろう。
夫妻にとっても、本当のところはハリーを見るたび辛かった。その皮肉な視線が辛かった。無論夫妻には分かっていた。 自分達のしている事がどうしようもない代償行為であると、惨めな慰めに過ぎぬと。 であるから許せなくもあった、ハリーでなく自分達自身が。だからこそ、ハリーを見るたび思い起こされるどうしようもない悲しみと怒りをハリーにぶつけることがあっても、彼の親代わりの責務はずっと果たし続けていた。
と突然、
「状況は分かったよ・・・」
部屋の入り口から野太い声が響き渡る。バーノンおじさんのものではない。 全員が一斉に入り口へ視線を向けた。 刹那、それまで余裕たっぷりに笑みを浮かべていたハリーが竦みあがる。
「マージ!いつ来たんだい?」
バーノンおじさんが入り口に駆け寄り、彼のたった一人の妹(?)を出迎える。 彼(彼女?)、マージ・ダーズリーこそ本作品の主人公である。 そう、彼の妹は元は男だった・・・。 マージおじさんはこのように脈絡もなく、しばしばダーズリー家に遊びに来る。 そしてそのたびにハリーにトラウマを植え付けていくのだ。
「前に来たのはもう少し前だったんだがねぇ、かわいいダッダちゃんはすっかり腕っ節が強くなっちまったようだねぇ。男の子はやっぱり強くなくっちゃ!」
「どういう意味だい?マー・・・ジ・・」
言いかけてバーノンおじさんは言葉を飲み込む。
「・・その額の怪我は・・?」
マージおじさんは凄みのある笑いを浮かべた。額から一筋の血が流れてきた。
「なーに、この家の前まで来たら何か紙くずが飛んで来てねえ、何だと思って拾って眺めてたらお前さん、次には四角い機械が飛んでくるじゃないか。おかげで日曜の朝から道路の真ん中で日光浴さ。通りかかった乞食のじじいも面白そうに私を見ていたよ」
太った彼女の肉体はさぞ往来の邪魔になったことだろう。
「ははは、そりゃ珍しいな、こんなところに何を貰いに来たんだか・・。全く、けしからん乞食もいたもんだ、警察は何をしとるんだか・・。」
バーノンおじさんは取り繕うように気まずい笑みを浮かべた。 今や醜く太りしわがれてはいても、元軍人の彼女の手の早さには内心怯えていた。
マージおじさんはそんなバーノンおじさんを一瞥すると、
「・・・それというのも」
ぎょろりと目を剥いてゆっくりとハリーへ視線を移した。 やり取りを面白そうに傍観していたハリーはその表情を見て事態を悟り、青くなった。 (ヤヴァイ、この人マジだよ)
「この泥棒猫のせいさね!」
マージおじさんはおもむろに詰め寄るなりハリーを掴み上げると、そのまま即座にジャイアントスイングに移行した。回転速度かどんどん上がっていく・・。 やがて・・・
ズガシャーン!!
ハリーは壁に激突してそのまま動かなくなった。
(・・だから苦手なんだよこの人、なんでも僕のせいにするんだもの。この休みだけでも、もう三回も、・・・ムカつくんだよ。)
マージおじさんはといえば、自分の戦果に満足してしきりに髭を捻っている。
「いやだねぇ、そろそろ髭も剃らないと。バーノン、後で髭剃りを貸しておくれ。」
遠のく意識の中で気力を振り絞ってマージおじさんの声を聞きながら、ハリーは魔法を体得してからずっと考えていたある計画を実行に移す事を決意した。 ハリーはこれ以上、おじさんの過剰なスキンシップに甘んじるつもりはなかった。 休みの最後の週で後腐れもない、やるなら今回だ、そんな気持ちがハリーの中で渦巻いていった。
“思いっきり恥をかかせてやれ!”
このようにしてやって来たマージおじさんは三日間ほど滞在すると帰っていった。 その後姿に、去り際の土産に貰ったボディイプレスを受けて息も絶え絶えになったハリーはしかし、笑いをこらえることが出来なかった。
話はおじさんが帰る直前に遡る。 ハリー・ポッターの朝は早い。 ハリーはダドリーのおもちゃの、音の鳴る鉄砲の玩具から火薬のキャップを抜き取り、食卓でダドリーが座る椅子の硬いクッションの下に設置した。 いつも寝ていたら耳元でパンパンやられる仕返しだ(なんて後ろ向きなんだ・・)。 いつもならマージおじさんの居る時にこんなぶっ飛ばされるリスクの高い事はやらないのだが、今回はやや事情が違った。
やがてダドリーが食卓に下りてきて無造作にどっかりと座り込む。瞬間、ダドリーの重圧を受けたクッションと椅子とに挟まれたキャップが炸裂した。
パンッ!!!
その大きな音に驚いてダドリーは泣き出した。しかし、バーノンおじさんとペチュニアおばさんは一瞬驚いたものの特に慌てる風もなく、ダドリーのそばへと駆け寄る。というのも、ダドリー自身がクッションの下に火薬の入ったキャップを隠していたりする事もしばしばあり、そのことをすっかり忘れて自爆してしまうことは珍しいことではないからである。ハリーは食卓の隅で笑いをこらえる事が出来ない。 おじさん、おばさんもダドリーに掛かりきりでハリーを責めている暇はない。 しかし・・・
「何がおかしいんだい?」
ハリーは背後に巨大な気配を感じた。
(来たか・・。)
ハリーは覚悟を決めた。 恐る恐る振り返るとそこには、音に驚いて突っ込んでしまったのだろう、朝食の生クリームを顔からぼたぼた垂らしたマージおじさんがあまりの怒りに顔を引きつらせながら・・・笑っていた。
・・・そう、まるで化け物のように。
さすがに被害がマージおじさんにまで及ぶ事は計算してなかっただけに、ハリーはついに声を立てて笑ってしまった。 マージおじさんも笑っている。 次の瞬間ハリーは、自分の両の肩が逞しい腕によって掴み上げられるのを感じた。
「どうしてお前はそうひねくれてるんだい!?かわいいダッダちゃんが泣いているというのに!おまえだろう!?お前がやったんだろうがぁぁ!!」
マージおじさんのただならぬ絶叫に危険な気配を感じたバーノンおじさんはさすがに止めに入る。
「よせ、マージ!よくある事だ!ダドリーはよく自分の椅子にああいうものを隠しっ放しにするんだ!」
しかしマージおじさんの怒りは頂点に達している。
「いいや!あたしはだまされないよ、この腐り切った顔に活を入れてやる!!」
そしてハリーを床に投げ飛ばすとその上にダイブした!
―ハリーはこの時を待っていた―
耳の奥まで響き渡る轟音。 ズドガシャーン!!!
・・・ そして一瞬の沈黙。 のしかかる肉の重圧と激痛に薄れゆく意識の中で、ハリーは呪文を唱えた。
(万物の根源たる大いなるマナよ・・わが声に耳を傾けたまえ・・・・)
ハリーのような非熟練者が秘密裏に魔法を発動する場合、その対象との間に光り輝くスパークが走って魔法の使用を悟られるという致命的弱点がある。 ハリーはそれをカバーするためにおじさんとの距離がなくなる時を待っていたのだ。魔法発動!…この瞬間、マージおじさんのお尻は少しずつ変化しはじめた。 しかしそのことにはハリー以外の誰も気付かぬまま、程なくしておばさんは帰っていった。
明日にはボグヴァーツへ発ち、また面白おかしい連邦科学アカデミー付属ボグヴァーツ魔法学院での生活が待っているのだ。明日からの生活と久々の勝利の充実感に、ハリーは心地よく休暇の最後の一日を過ごしたのだった。
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